2015年2月27日金曜日

西杵炭鉱、あるいは杵島炭鉱、もしくはその他どこかの炭鉱の大型機械類



残骸か、遺産か 武雄市北方町、西杵炭鉱の大型遺物(佐賀新聞:WEB魚拓

を見て慌てて訪問。
まさか西杵炭鉱の遺構を探しに行って帰ったその日にこの記事を見るとは…。
なので西杵炭鉱については後回しです。




濃密です。
狭い区画に大型機械が錆びついてます。
最高に廃です。

まずは坑内機関車から。
現地の雑な(失礼)案内板に「ディーゼル機関車」と書いてあるので
ディーゼル式の坑内機関車、いわゆる「ディーゼルロコ」なのでしょう。
詳しく調べていませんが
いわき市石炭・化石館」の「ジーゼル機関車(どちらも外部サイト)
に酷似しているように見えます。
どちらも日本輸送機製ということでしょうか。

21世紀になって、
日本輸送機社が、炭鉱時代互いにしのぎを削ったであろう三菱系列に収まったことは
時代が成す皮肉でしょうかね。
(西杵炭鉱は明治鉱業の炭鉱で、西杵炭鉱と鉱区が近い上に巨大な古賀山炭鉱は三菱鉱業)
朽ちた計器類。
野晒し20年、よくここまで耐えた。
手動の変速機も読み取れました。
警報機。
車体側面に記されていた車体番号らしきもの。
他の刻印などが朽ち果てて読み取れず、
この機関車の正体は特定できませんでした。
こちらは巻上機。
現地の雑な解説文によると
「運搬台座巻上機」とあります。

機関車同様に黄色い塗装が施されているのは、
他の事例を見る限り坑内の機材はそのようにする決まりがあったようですね。
危険な機械は、暗い坑内において、
わずかな光で少しでも視認性を良くするために、
こんな風に黄色く塗ることになってたのかな。
ちょっとこれから調べます。
「牛津」と刻まれています。
西杵炭鉱は牛津からだと結構距離があるのですが、
「牛津川」の牛津でしょうかね。

巻上「台座」はいくつか見てきましたが、
新しい時代のものとは言え「巻上機」そのものを見たのは初めてな気がして感動。
「燃料タンク車」だそうです。
黄色く塗装されていたようなのでこれも坑内用でしょう。
ディーゼル機関車への燃料供給、
いわゆる「炭水車」の役割を果たしていたのでしょうか。
この辺要勉強ですね。
給油口?付近。
…そこにそんな扉付けるなら
円筒形にしなくてもよくないか?
何かに流用された?
「日立製作所」の銘あり。
他は読めない……。
ベルトコンベア。
これは似たようなのが元の位置のまま放置されてるのを見たことある。かも。
「コールカッター」
炭層の掘削に使われた機械。
巨大チェーンソーみたいな感じ。
刃はなくなってるけど。
全長5.7メートル。
全体を写真に撮るの忘れてた撮れないくらい大きい。
とりあえず電動だったらしいことだけわかりました。
炭車。
「270」はこの炭車の固有番号なのか、
この形式の単車の名前なのか。
調べなきゃ。
これも全体を撮り忘れてる……。
もう一つの炭車。
九州では珍しい(かもしれない)
横が開く方式。
それもそのはず北海道の「豊平製鋼」製。
坑内では規格の違いで運用しにくそうだし、
黄色く塗られた痕跡もないので
ボタの運搬用かなあ。
ボタの運搬に使われた「スキップ」という設備は
横開き式の貨車を使っていたと何かの資料で読んだような。
ここにあった一番大きな「機械」
最初何かわからなかったけど、
こっちから見たら一目瞭然。
鉄塔ですね。
索道という、今で言うロープウェイのようなもので
石炭を運んでいたときの、
そのロープウェイの支柱です。
当時の写真にこれがずらりと立ち並ぶ姿が写っています。
この滑車にケーブルを通して、
そこにバケツのようなものをぶら下げてそれで石炭を運んでいたわけです。
そこに吊るされていた「バケツ」がこれ。
中に水が溜まっています。
興味深いのはどうやら全体が鋼板のリベット留めで作られてるっぽいところ。

他の機械類が溶接で組まれていることから考えると、
この索道は他のより古い時代からあるのかもしれない。

バケットの、ケーブルにかかる部分。
これらの遺物は近いうちにスクラップにされる可能性が高いということで、
この索道支柱の脚の部分を覚えておいて
付近の遺構を探るときに台座跡かどうかの同定の参考にしようと思います。

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