2015年2月21日土曜日

多久炭鉱三坑・四坑と柚ノ木原駅貨物駅跡


柚ノ木原駅跡に佇む貯炭ポケット。




炭鉱系WEBサイトなどでは
「多久炭鉱の積込み場跡」のように
多久炭鉱専用線であるかのように扱われていますが、
「柚ノ木原貨物支線」開通が明治36年(1903)、
多久炭鉱一坑が開坑したのが昭和11年(1936)とかなり時期に開きがあります。
また、「柚ノ木原鉱業所」という駅名と関係深そうな炭鉱が同時期に存在しており、
そのルーツは多久茂族なる人物によって明治期に開かれた炭鉱にあるようです。
名前からして旧多久邑主後多久氏の一族でしょう。


柚ノ木原地区の炭鉱は幕末の頃に採掘の記録があり、藩営だったり海軍だったり三菱だったりといろいろなところが採掘を行い、
「炭鉱王」高取伊好が手を出して大コケしたりして、
昭和の頃には鳥越嘉八氏を中心に7名の鉱業権者による「柚ノ木原炭鉱組合」を結成、
中小炭鉱が結束して明治や三菱といった大資本炭鉱に対抗する、という形になったそうです。
柚ノ木原駅自体は、それらの複雑な中小炭鉱群の積み出し駅として設置されたのが始まりでしょう。

ただ柚ノ木原炭鉱組合の中小炭鉱は結局潰れていき、
最終的にはこの地区の炭鉱は多久炭鉱に集約されたものと思われます。
柚ノ木原貨物支線の廃線(1967年12月)が
多久炭鉱の閉山からそれほど時間が経っていないことからも
末期の柚ノ木原駅は事実上多久炭鉱専用貨物駅になっていたのかも。
関連遺構なのかはわかりませんが、
多久炭鉱二坑または三坑があったと記録があるところで見つけた何かの遺構。
『多久市史』では二坑、
『石炭産業の史的展開』では三坑とされていて
記録が混乱しています。
このエリアは完全に藪に覆われていて、
遺構の捜索は無理そうです。
藪に覆われた二坑または三坑跡地と比較して、
四坑跡地は良好に現存しています。
バブル期に宅地開発の計画があったようで、
付近にはそのとき切り崩された崖が結局開発されないまま
徐々に朽ちていってます。

これは「多久炭鉱排気坑口」として有名な遺構。
『多久市史』にも『石炭産業の史的展開』にも記録がなく、
『石炭産業の史的展開』で四坑口とされているところの近くに
『多久市史』では「多久炭鉱排気坑」とだけ記されています。

排気坑口なら排気設備の基礎とかがありそうなものですが、
抜け落ちた扁額の跡だけなことから四坑の連卸だった可能性の方が高い気がします。
90度折れ曲がってから地下へ向かう坑道の形も、
「排気坑」では無駄が多すぎるような。
『多久市史』は昭和20年頃の炭鉱の分布となっているので、
多久炭鉱が三坑までしかなかった頃に
排気坑として作られた坑口が、
後に四坑として拡張された、ってところでしょうかね。
ちなみに四坑の開坑が昭和18年だそうで、
時期的にも大きく矛盾はしません。
『多久市史』の炭鉱分布は個人の記憶を後世に聞き取ったもののようなので…。
なお四坑口本卸跡?自体は道路沿い住宅に挟まれるように残っています。
ただの藪にしかみえませんが、
アーチ型の坑道を石で塞いだような感じに。
『石炭産業の史的展開』ではここに四坑口が記してありましたが、
これだけでは確信は持てませんでした。
でもさすがにこれを見つけたらここだよね。
閉塞の土砂に埋もれかけてた(埋もれてたのが洗い出された?)
坑夫のヘルメットぽいもの。

0 件のコメント:

コメントを投稿